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ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

松井田宿 おしまい

16松井田宿

信越本線に真っ直ぐ沿っていた旧道は、横川の集落が始まるところから本来の姿に戻ったようで、線路から離れます。
蛇行具合がイイ!
15:25丁字路のおぎのやで本日の旅はおしまい。
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電車の時間を調べると、おぎのやで食事する余裕があるので、15時過ぎてやっと昼食。
当店は釜飯弁当が有名だけど、元は坂本宿の荻野屋。
信越本線高崎駅~横川駅が開業した明治18年(1885)に弁当屋を創業。
駅弁「おむすび」の販売をスタート。
昭和33年(1958)から発売開始した峠の釜めしが大ヒットして今日に至っています。
店内ではざるそばをいただき、お土産に峠の釜めし
おぎのやと一心同体の横川駅は、プレハブみたいな質素な建物だけど、関東の駅百選認定駅となっています。
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松井田宿→の所要時間 3時間45分(休憩除いた正味時間 3時間35分)
万歩計Rの歩数 15,836歩
喜多さんの歩数 12,690歩

松井田宿 その28

16松井田宿

第十五中仙道踏切からの旧道は右側が開削されてスゴい崖。
今は線路に沿って真っ直ぐだけど、ホントは線路や国道の方まで蛇行していたんでしょうね。
さて、新堀一里塚から地図で計測すると、第15中仙道踏切を過ぎた辺りが横川一里塚。
しかし、『中山道分間延絵図』には横川一里塚は載っていません。
中山道って今までも一里塚がなかったり、ルートが付け替えられていたりするので、横川一里塚はもともとなかったんでしょう。

次の坂本宿の巻でも述べるけど、横川の碓氷関所が現在の場所に設置されたのは元和9年(1623)。
その前は「関長原」というところにあったらしい。
関所と街道はセットになっているので、関所が移転したということは、街道も一緒に付け替えられたんでしょう。
鴻巣宿の巻で古中山道原馬室一里塚が取り残されているように、横川地区の北側にも古中山道があると思うけど、詳しくは地元の方にお任せします。(^-^;
中山道には横川一里塚の代わりに高墓一里塚とかあったらイイね~。
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信越本線に沿う現在の中山道

あ、大宮宿の巻で氷川神社一の鳥居を過ぎた辺りが大宮一里塚跡と言ったけど、氷川神社参道が古中山道なので、一里塚は参道にあったか、神社の参道に一里塚というのは畏れおおいので、元々なかったかもしれません。
訂正します。m(_ _)m

松井田宿 その27

16松井田宿

再び国道18号に合流すると左側はものスゴい崖。
往時は険しい道のりだったんだね~。
下横川交差点で第十五中仙道踏切で信越本線を渡ります…。
へ?
信越本線の踏切が第10中仙道踏切から第15に飛んでいる!(◎o◎)
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第10と第15の間は御所平高墓の3カ所で、榎の手前が第11、高墓・御所平の手前が第12と、分かりやすい。
そして、第13・第14は小山沢
小山沢に架かる信越本線の小山沢橋梁には両側の橋台の下それぞれに小径が延びています。
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探検はしていないけど、上流で小山沢を渡って、道がつながっているんでしょう。
江戸時代の中山道は小山沢の谷を上り下りしていたと思うけど、信越本線が開業した明治18年(1885)には等高線に沿うように道が付け替えられたんでしょうね。

松井田宿 その26

16松井田宿

国道18号に合流して小山沢橋を渡ります。
眼下の小山沢は険しい谷になってるけど、『中山道分間延絵図』によると、小山沢の前後が坂道なので、往時の小山沢橋は谷の下の川面近くに架けられていたんでしょう。
往来が大変。
小山沢交差点で再び左に旧道。
左手に妙義道道標。
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彫りが浅くて読みづらいけど「□めうぎ道」と刻まれています。
国道に合流する手前に百合若大臣の足痕石。
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百合若大臣という伝説の人物が弓を射る時に踏ん張ったら凹んじゃったという気の毒な石(笑)。

松井田宿 その25

16松井田宿

高墓踏切を渡り、国道18号を少し戻って旧道に入ります。
入口に旧中山道標識が立っています。
ちょうどみかん電車が走ってきたので、喜多さんが写っている写真を採用(笑)。
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ということで、臼井の集落。
昔なら碓氷郡臼井村で、おなじうすいなのに、漢字表記が違うのは何故?
臼井小学校を過ぎると菊が咲いています。
撮影していたら、萩さんと地元の方と花談義になって、おらはチンプンカンプン。

松井田宿 その24

16松井田宿

線路沿いの迂回路を進むと村社碓氷神社。
両部鳥居が立派。
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碓氷峠熊野神社分祀した社で、熊野神社の里宮。
案内板によると、建久年間(1190~99)に源頼朝が立ち寄り、境内に御所を置いたので「御所平」という地名になりました。
へ~、さっきの松井田八幡宮源頼朝が建久8年(1197)に立ち寄ったとあったので、同じ年のことなんだろうね。

案内板の横に石柱が倒れている…ってゆーか、道標が大きな石の上にうつ伏せの状態で置かれています。
昭和2年(1927)製で、正面に「北 碓氷神社ヨリ 東 立野/西 高墓」、左面に「松井田停車場一里/妙義町ヘ一里二丁」と刻まれています。

熊谷宿で、教育委員会に道標の問い合わせをしたところ、久下権八公園に倒れた道標があったんだけど、嬉しいことに、その後立て直してくれました。
しかし、この道標は安中市に問い合わせてはいないので、これからもずっとうつ伏せのままなんだろうな。
気の毒なので、碓氷神社道標と名付けて、忘れないでいよう。

松井田宿 その23

16松井田宿

一度下ったのにまた上って梨子木(なしのき)の集落。
往時は立場でした。
梨子木は峠道なので立場だったんでしょう。
民家が途切れると急な下り坂…ってゆーか、転げ落ちるような梨子木坂。
イイ景色だな~と、しみじみと下ると線路沿いに出ます。
本来は「第12中仙道踏切」を渡って国道を横切り、向かいの臼井の集落を進むはずなのに、今は踏切はな…あれ?踏切があるじゃんと思ったら、御所平(上り)踏切で、(下り)踏切ってのはない!
えー!やはり残念ながら国道には出られない…ガクッ。
しかし、畑の所有者専用の踏切?なんて、初めて見ました。
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松井田宿 その22

16松井田宿

峠を下るとのどかでイイ感じ。
道は車を通すように開削されてはいるけど、往時からあまり変わってないんじゃないの?と思われる風景です。
紅葉が終わった12月なのでちょっと寂しい雰囲気だけど、梅や彼岸花が植えられているので、2月や9月は華やかだろうね。
しかし、12月なのにタンポポいています。(+_+)
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松井田宿 その21

16松井田宿

旧道に戻ります。
信越本線にぶつかると、線路の先に旧道が延びています。
ありゃ、榎踏切だって。
緑の中山道標識もあります。
信越本線開業当時は榎踏切のすぐ手前に第11中仙道踏切があったんだろうね。

踏切を渡ると急な上りの丸山坂。
眺めがイイ。
石仏群を横目に上ると、峠に赤いちゃんちゃんこを着たお地蔵さま2体。
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右の背の高いお地蔵さまが夜泣き地蔵です。
左側のお地蔵さまは頭の部分に丸い石が載っているけど、ホントの頭は足元に転がっているのでかなり不気味
そして、テーブルのような茶釜石。
茶釜石の上には小さな石が載っているけど、多くの旅人が叩いているようで、粉まみれになっています。

松井田宿 その20

16松井田宿

五料の茶屋本陣ではお西とお東との間に東屋の休憩所があります。
ポットが置いてあるのでお茶がいただけます♪
せっかくなので、本日の出発前に立ち寄った「たわらや」で購入した菜っぱ饅頭と酒まんじゅうをいただきます。
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休憩含めて55分の滞在。