引っ越しました
長らくはてなさんにお世話になっていた当ブログですが、この度引っ越しました。
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今後とも「ブログ 1日中、山道。」をよろしくお願いいたします。m(_ _)m
松井田宿 おしまい
信越本線に真っ直ぐ沿っていた旧道は、横川の集落が始まるところから本来の姿に戻ったようで、線路から離れます。
蛇行具合がイイ!
15:25丁字路のおぎのやで本日の旅はおしまい。
電車の時間を調べると、おぎのやで食事する余裕があるので、15時過ぎてやっと昼食。
当店は釜飯弁当が有名だけど、元は坂本宿の荻野屋。
信越本線高崎駅~横川駅が開業した明治18年(1885)に弁当屋を創業。
駅弁「おむすび」の販売をスタート。
昭和33年(1958)から発売開始した峠の釜めしが大ヒットして今日に至っています。
店内ではざるそばをいただき、お土産に峠の釜めし。
おぎのやと一心同体の横川駅は、プレハブみたいな質素な建物だけど、関東の駅百選認定駅となっています。
松井田宿→の所要時間 3時間45分(休憩除いた正味時間 3時間35分)
万歩計Rの歩数 15,836歩
喜多さんの歩数 12,690歩
松井田宿 その28
第十五中仙道踏切からの旧道は右側が開削されてスゴい崖。
今は線路に沿って真っ直ぐだけど、ホントは線路や国道の方まで蛇行していたんでしょうね。
さて、新堀一里塚から地図で計測すると、第15中仙道踏切を過ぎた辺りが横川一里塚。
しかし、『中山道分間延絵図』には横川一里塚は載っていません。
中山道って今までも一里塚がなかったり、ルートが付け替えられていたりするので、横川一里塚はもともとなかったんでしょう。
次の坂本宿の巻でも述べるけど、横川の碓氷関所が現在の場所に設置されたのは元和9年(1623)。
その前は「関長原」というところにあったらしい。
関所と街道はセットになっているので、関所が移転したということは、街道も一緒に付け替えられたんでしょう。
鴻巣宿の巻で古中山道に原馬室一里塚が取り残されているように、横川地区の北側にも古中山道があると思うけど、詳しくは地元の方にお任せします。(^-^;
古中山道には横川一里塚の代わりに高墓一里塚とかあったらイイね~。
(信越本線に沿う現在の中山道)
あ、大宮宿の巻で氷川神社一の鳥居を過ぎた辺りが大宮一里塚跡と言ったけど、氷川神社参道が古中山道なので、一里塚は参道にあったか、神社の参道に一里塚というのは畏れおおいので、元々なかったかもしれません。
訂正します。m(_ _)m
松井田宿 その27
再び国道18号に合流すると左側はものスゴい崖。
往時は険しい道のりだったんだね~。
下横川交差点で第十五中仙道踏切で信越本線を渡ります…。
へ?
信越本線の踏切が第10中仙道踏切から第15に飛んでいる!(◎o◎)
第10と第15の間は榎・御所平・高墓の3カ所で、榎の手前が第11、高墓・御所平の手前が第12と、分かりやすい。
そして、第13・第14は小山沢。
小山沢に架かる信越本線の小山沢橋梁には両側の橋台の下それぞれに小径が延びています。
探検はしていないけど、上流で小山沢を渡って、道がつながっているんでしょう。
江戸時代の中山道は小山沢の谷を上り下りしていたと思うけど、信越本線が開業した明治18年(1885)には等高線に沿うように道が付け替えられたんでしょうね。
松井田宿 その24
線路沿いの迂回路を進むと村社碓氷神社。
両部鳥居が立派。
碓氷峠の熊野神社を分祀した社で、熊野神社の里宮。
案内板によると、建久年間(1190~99)に源頼朝が立ち寄り、境内に御所を置いたので「御所平」という地名になりました。
へ~、さっきの松井田八幡宮に源頼朝が建久8年(1197)に立ち寄ったとあったので、同じ年のことなんだろうね。
案内板の横に石柱が倒れている…ってゆーか、道標が大きな石の上にうつ伏せの状態で置かれています。
昭和2年(1927)製で、正面に「北 碓氷神社ヨリ 東 立野/西 高墓」、左面に「松井田停車場一里/妙義町ヘ一里二丁」と刻まれています。
熊谷宿で、教育委員会に道標の問い合わせをしたところ、久下権八公園に倒れた道標があったんだけど、嬉しいことに、その後立て直してくれました。
しかし、この道標は安中市に問い合わせてはいないので、これからもずっとうつ伏せのままなんだろうな。
気の毒なので、碓氷神社道標と名付けて、忘れないでいよう。