ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

熊谷宿 その13

久下(くげ)権八公園には熊谷堤碑の他に、もう1つ大事なものぐゎ!
ブ…ブランコの横に道標がうつ伏せの状態で倒りぇていりゅ!(◎o◎)

これは寛政8年(1796)製の塞神(さえのかみ)道標で、
左面に「左松山道」、右面に「右熊谷道」と刻まれています。
中山道分間延絵図』を見ると、
ここは熊谷堤に突き当たった丁字路の追分で、地蔵堂は土手の斜面に建っていました。
塞神道標はこの追分に建っていたんでしょうね。
道標の通り、
右に進めば中山道熊谷宿、左に進めば久下の渡しで荒川を渡って約10kmで松山宿。
道標が倒れたままなんて不憫。(>_<)

熊谷宿は「八王子通り大山道」の起点で、
おらとしては熊谷宿周辺には大山道道標はないの?と気になっちゃう。
歩く前に熊谷市教育委員会に問い合わせところ、
残念ながら「大山」「八王子」などと刻まれた道標はないそうで、
代わりにずっと手前の「松山」と刻まれた道標を2基教えていただきました。
この塞神道標はそのうちの1基です。\(^-^)/

久下のみなさ〜ん。
久下権八公園に倒れている石柱は道標を兼ねた道祖神で〜す。
往時の久下村は中山道が通っているだけではなく、
松山宿へ向かう街道との分岐点でした〜。
この塞神道標は久下村が交通の要所だった証で〜す。
地域の文化財として大事にしてやってくださ〜い。
ぜひ立ててやってね…と思ったら、何と!