ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

12倉賀野宿

倉賀野宿 おしまい

上越新幹線の高架をくぐると、車のライトが点灯している! 上信電鉄線の踏切は「踏切番号1」となっているけど、 「中仙道」ってな手書きの札が掛かっています。 中山道の標柱は宿場の距離がなくなって、 「高崎宿」だけになっているので、もう高崎宿。 レト…

倉賀野宿 その22

高崎粕沢橋郵便局付近が粕沢の立場跡だけど、 もう薄暗くなっているので、てくてくてくてく。 R17の高架をくぐった辺りが新田の立場跡だけど、薄暗いので、てくてくてくてく… と言いながら、新後閑町(しごかまち)交差点の手前で寄り道。 古ぼけた看板が…

倉賀野宿 その21

左にモッコリとした森が近づいてきます。 国指定史跡浅間山古墳で、 群馬県内では太田市の天神山古墳に次いで、2番目の大きさの前方後円墳です。 4世紀後半に造られたそうなので、かなり古い。 安楽寺にも古墳があったけど、この付近には古墳が多い。 この…

倉賀野宿 その20

もう日差しが寂しくなってきました。 今日の日の入りは17:49なので、急がなくちゃ。 上町西交差点を過ぎた辺りが倉賀野一里塚跡だけど、何もありません。 一里塚を過ぎると往時は杉並木で、迅速測図でも並木になっています。 K121拡張のため片側だけ…

倉賀野宿 その19

倉賀野神社を過ぎると名前のない交差点が上の木戸跡。 そして、安楽寺です。 境内に入るとまずは異形板碑。 南北朝以降に造られたもので、市指定史跡です。 境内の奥には県指定史跡安楽寺古墳。 7世紀末頃に造られた円墳で、墳丘に本堂が食い込んでいます。…

倉賀野宿 その18

丁字路に倉賀野神社の石標があります。 お参りすると、拝殿に「倉賀野神社」&「飯玉大明神」2枚の扁額が並んでいます。 往時は飯玉大明神だったのが、明治10年(1877)に大国魂神社と改称し、 明治43年(1910)に近隣の数社を合祀して倉賀野神…

倉賀野宿 その17

2階建てで卯建のある格子戸の民家が脇本陣跡。 河岸問屋も営んだ須賀喜太郎脇本陣で、明治前半の建物です。 3軒目のたかさき都市景観賞。 はす向かいの洋風の民家も脇本陣跡で、須賀庄兵衛脇本陣。 須賀喜太郎脇本陣跡の並びに高札場跡。 往時は高札場から…

倉賀野宿 その16

倉賀野駅入口交差点の倉賀野仲町山車倉前に中町御伝馬人馬継立場跡。 漢字ばかりで何だろう?と思ったら、中町問屋場(といやば)跡です。 倉賀野宿は、問屋場が下町・中町・上町に1軒ずつ、計3軒もあって、 それぞれ10日交代で問屋を務めていました。 …

倉賀野宿 その15

ベイシアマート屋の駐車場に、ポツンと本陣跡。 勅使河原本陣の跡で、ベイシアの敷地=本陣の敷地なんだろうな~。 広~い。 さっき通り過ぎた中町交差点を左折して、 共栄橋のたもとに河岸跡碑があると言ったけど、 ホントはベイシアの角にある路地が河岸場…

倉賀野宿 その14

2軒目となるたかさき都市景観賞の大山邸。 今度の大山邸は、さすが“倉”賀野らしく?蔵のような造りです。 左側の壁がなまこ壁になっています。 中町交差点に倉賀野町道路元標。 この交差点を左折すると、共栄橋のたもとに倉賀野河岸跡碑があるんだけど、 距…

倉賀野宿 その13

右手に明治36年(1903)創業の丁子堂 房右衛門(倉賀野町2006)があります。 軒先に「塩大福」の暖簾を掲げています。 代表銘菓の河岸最中は倉賀野宿に河岸があったことで名付けられました。 高崎にキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!ということで、 達磨の形をしている…

倉賀野宿 その12

倉賀野宿に入ると、まずはたかさき都市景観賞の大山邸があります。 母屋が昭和9年(1934)の築造というので新しいけど、宿場らしい風景。 続いて卯建が立派な矢島邸。 こちらも宿場の建物らしくてイイ感じ。 音楽教室の前に、小栗上野介忠順公と埋蔵金…

倉賀野宿 その11

しばらくすると、また蛇行跡。 K121に合流すると、三叉路の下町交差点です。 例幣使道との倉賀野追分で、中山道と例幣使道に挟まれ、 閻魔堂&市指定史跡例幣使街道の常夜灯及び道しるべが建っています。 文化11年(1814)製の常夜灯は道標を兼ねて…

倉賀野宿 その10

旧道に戻ると旧道の蛇行跡が残っていて、 「Old」表記の「旧中山道」標識が立っています。 車道と合流すると、定規で直線を引いたような真っ直ぐな道。 新柳瀬橋北交差点に、今度は「kyu」表記の「旧中山道」標識が立っています。 ここからK121となり、工…

倉賀野宿 その09

13:00午後の部をスタート。 観音寺を横目に次の路地を入ると、 寛政5年(1793)に設置された岩鼻代官所(陣屋)跡及び岩鼻県庁跡があります。 代官所の入口付近は岩鼻の立場で、往時は高札場もありました。 そして、明治元年(1868)旧代官所…

倉賀野宿 その08

坂を上りきると岩鼻町交差点。 道幅が広くなります。 新町宿を出てから食事処がなかったけど、13:40ここでやっと昼食です。 ちょっと遅れ気味だけど、梅田屋(岩鼻町247)で十割天せいろ1,500円。 この時間でも店は込んでいて、注文に天ぷらがあり…

倉賀野宿 その07

烏川土手の岩鼻樋管から石段を下りると旧道復活。 旧中山道の標識が立っています。 しかし、今まで標識の英語表記が「kyu-Nakasendo」だったのに、 「Old-Nakasendo」になっているのでミョ~な感じ。上り坂を進むと北向子育観世音。 観音堂は彫刻が立派。 お…

倉賀野宿 その06

柳瀬橋を渡ると対岸は再び高崎市。 土手を進むと岩鼻水位観測所があります。 建物の隅に割れた階段寄贈の石碑が立てかけられています。 碑に「横浜市」と刻まれているのでビックリだけど、 もっとビックリなのは、車が通るので通行注意!(◎o◎) この土手って…

倉賀野宿 その05

迅速測図では中島の集落からすぐ柳瀬橋が架かっているけど、 現在の柳瀬橋はもう少し上流です。 迂回すると柳瀬橋は鉄橋で通行は車道のみ。 歩行者は下流側の柳瀬歩道橋を渡ります。 幅が広く、消えかかっているものの、白線で歩行者と自転車と区分されてい…

倉賀野宿 その04

高崎伊勢崎自転車道を下って中島の集落に入ると突き当たりにぶつかり、 中山道に復帰します。 道なりに進むとまた突き当たり。 また深緑の「中山道」標識があります。 この丁字路は追分で、中山道は右折。 左折する道は藤岡道。 この丁字路追分が新茶屋の立…

倉賀野宿 その03

高崎伊勢崎自転車道の土手を下りるとK178の歩道歩きとなります。 中島の集落に入る手前でまた自転車道の土手を上る。 ホントはもう1本先の路地が旧道だけど、入口があるだけですぐに消滅しています。 自転車道に上ると空が広くて気持ちイイ~。 サイクリ…

倉賀野宿 その02

新町宿の手前にあった勝場一里塚跡から地図で計測すると、 次の一里塚:中島一里塚は、藤岡市中島か?あるいは立石で、この付近となります。 しかし、『中山道分間延絵図』には載っていません。 やはり、中島一里塚は初めからなかったのか?中山道に伝馬制を…

倉賀野宿 その01

お伊勢の森(神明社)で10分休憩。 おらはベンチに腰掛けてボーッとしているけど、喜多さんは蝶の捕獲に余念がない。 虫網を適当にグルグルと回しているように見えるけど、 網にはちゃんと蝶が入っています。(◎o◎)12:50お伊勢の森を出発。 『中山道分…