ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

高崎宿 その14

永承6年(1051) 源頼義・義家父子が前九年の役の戦勝祈願のために建立したという若宮八幡宮。 へぇ、こぢんまりしているけど、隋神門もあるし、由緒ある神社なんだね。(◎o◎) 若宮の立場があった場所でもある。しかし、気になるのは祭神。 八幡神って、 フツ…

太田宿→鵜沼宿

先週の日曜日に日帰りで太田宿から鵜沼宿まで歩きました。\(^-^)/ホントは6月に1泊2日で歩きたかったんだけど、 今年は梅雨入りが早くて歩きに行こうと思うと雨。(T-T) 今年度は自治会の役員なので、 泊まりで出かけられるのは第1週と第3週だけなので…

高崎宿 その13

二叉を左に進むと、 祠だけの八坂神社に市指定重要文化財の下豊岡の道しるべがあります。 正面に「榛名山/草津温泉 かわなか/かわらゆ/はとのゆ 温泉」、 右面に「従是 神山三里/三ノ倉五り半/大戸九り半」、 左面に「左中山道 安中/松井田/横川」と刻まれて…

高崎宿 その12

国道に出て石神社を横目に広い空き地。 喜多さんの目がキラリと光ったと思ったら、 空き地で虫取り網を振り回しています。(◎o◎) 萩さんとおらは虫取りの様子を眺めながら10分休憩。 喜多さんはお目当ての蝶が捕れてヨカッタね。(^-^;二叉に自然石の道しるべ…

高崎宿 その11

君が代橋を渡ると君が代橋西交差点を右折して国道406号へ。 交差点の側道から路地を入ったところに万日堂があります。 元は旧道の南側にあったけど、国道18号の拡幅工事のため現在地に移されました。 本尊のみかえり阿弥陀像&「おもしろひ夢見る顔や涅槃像…

高崎宿 その10

君が代橋を渡る前に親柱がポツン。 親柱は昭和6年(1931)のものだけど、 橋名は明治11年(1878)明治天皇が北陸東海巡幸の際に、 馬車で渡られたことを記念して命名されました。 萩さんは一度中山道を歩いていて、その時は橋の北側を通ったそうだけど、 君が代…

高崎宿 その09

赤坂を下り切ると、建物がイイ感じの岡醤油醸造(常盤町5)屋。 喜多さんがグッズを買いたいというので立ち寄ると、店内もイイ感じ。 大間々宿で天明7年(1787)に創業した醤油醸造業河内屋(現岡直三郎商店)の支店で、 明治30年(1897)に開設されました。 店…

高崎宿 その08

赤坂を下ると長松寺。 山門が青い瓦でオシャレ。 境内もキレイで、シオンが咲いています。 長松寺の大間、向拝天井絵及び涅槃画像が市指定重要文化財だけど、 こういった美術品は建物に入らないと観られないと思っていたら、 本堂の向拝を見上げると、ありま…

高崎宿 その07

天保7年(1836)創業の寝具店金澤屋の角を左折。 安政4年(1857)創業の茶店水村園を過ぎると本町1丁目交差点。 途中にある本町三丁目交差点&本町二丁目交差点は漢数字なのに、 本町1丁目交差点だけアラビア数字。(+_+) ここは三国街道の追分なので、特別だ…

高崎宿 その06

連雀交差点の高崎市道路元票を横目に、今度は右手の大信寺。 市指定史跡の徳川忠長の墓があります。 忠長は徳川2代将軍秀忠の三男で、3代将軍家光の弟。 才智に恵まれ、両親が寵愛したため、家光から疎まれたといわれています。 秀忠の死後、数々の乱交が…

大湫宿→伏見宿

ゴールデンウィークに1泊2日で大湫宿から伏見宿まで歩きました。\(^-^)/ 本来は1泊2日の旅だけど、往復とも高速夜行バスを利用したので、 3泊2日みたいな旅。(^-^; 中山道歩きの27日目&28日目。大湫宿・細久手宿は鉄道や国道が離れているので…

高崎宿 その05

萩さんと合流してあら町交差点を出発。 弘化2年(1845)創業の藤澤石材店屋を横目に連雀交差点。 あら町と連雀町の間が高崎宿の中心です。 宿場の中心といえば、大抵の宿場には本陣があるものだけど、 高崎宿には本陣はありません。 はじめは連雀町の福田家が…

高崎宿 その04

あら町交差点に戻って、今度は左手の諏訪神社。 慶長4年(1599)箕輪城下の下ノ社を勧請したのが始まりで、 ビルの谷間で窮屈そうに鎮座しています。 とにかく彫刻が素晴らしい! 鳥居に龍が巻き付いているのが斬新。 新町諏訪神社本殿及び御宝石として市指定…

高崎宿 その03

9:00新田町交差点をスタートすると、すぐあら町交差点です。 「あら町」は漢字だと「新町」。 2つ手前の宿場:新町宿が「しん町」なので紛らわしい。 平成18年(2006)新町宿のある旧多野郡新町が高崎市に編入されて「高崎市新町」となり、 その代わりに?旧…

高崎宿 その02

頼政神社の北側に、市役所がそびえる高崎公園。 高崎公園は明治9年(1876)大染寺跡に造られ、当時は頼政公園と呼ばれていました。 明治33年(1900)に市制が施行され高崎市が誕生し、 高崎公園と呼ばれるようになりました。 広くて桜が多く、市民の憩いの場と…

高崎宿 その01

中山道歩きの8日目。 スタートの前に、まずは前回寄れなかった頼政神社へ。 頼政神社は、高崎藩主:大河内輝貞が遠祖の源頼政を祀るため、 元禄11年(1698)高崎城東の石上寺境内に創建されました。 その後、享保2年(1717)に現在地へ遷座。 こぢんまりとした…

倉賀野宿 おしまい

上越新幹線の高架をくぐると、車のライトが点灯している! 上信電鉄線の踏切は「踏切番号1」となっているけど、 「中仙道」ってな手書きの札が掛かっています。 中山道の標柱は宿場の距離がなくなって、 「高崎宿」だけになっているので、もう高崎宿。 レト…

倉賀野宿 その22

高崎粕沢橋郵便局付近が粕沢の立場跡だけど、 もう薄暗くなっているので、てくてくてくてく。 R17の高架をくぐった辺りが新田の立場跡だけど、薄暗いので、てくてくてくてく… と言いながら、新後閑町(しごかまち)交差点の手前で寄り道。 古ぼけた看板が…

倉賀野宿 その21

左にモッコリとした森が近づいてきます。 国指定史跡浅間山古墳で、 群馬県内では太田市の天神山古墳に次いで、2番目の大きさの前方後円墳です。 4世紀後半に造られたそうなので、かなり古い。 安楽寺にも古墳があったけど、この付近には古墳が多い。 この…

倉賀野宿 その20

もう日差しが寂しくなってきました。 今日の日の入りは17:49なので、急がなくちゃ。 上町西交差点を過ぎた辺りが倉賀野一里塚跡だけど、何もありません。 一里塚を過ぎると往時は杉並木で、迅速測図でも並木になっています。 K121拡張のため片側だけ…

倉賀野宿 その19

倉賀野神社を過ぎると名前のない交差点が上の木戸跡。 そして、安楽寺です。 境内に入るとまずは異形板碑。 南北朝以降に造られたもので、市指定史跡です。 境内の奥には県指定史跡安楽寺古墳。 7世紀末頃に造られた円墳で、墳丘に本堂が食い込んでいます。…

倉賀野宿 その18

丁字路に倉賀野神社の石標があります。 お参りすると、拝殿に「倉賀野神社」&「飯玉大明神」2枚の扁額が並んでいます。 往時は飯玉大明神だったのが、明治10年(1877)に大国魂神社と改称し、 明治43年(1910)に近隣の数社を合祀して倉賀野神…

倉賀野宿 その17

2階建てで卯建のある格子戸の民家が脇本陣跡。 河岸問屋も営んだ須賀喜太郎脇本陣で、明治前半の建物です。 3軒目のたかさき都市景観賞。 はす向かいの洋風の民家も脇本陣跡で、須賀庄兵衛脇本陣。 須賀喜太郎脇本陣跡の並びに高札場跡。 往時は高札場から…

倉賀野宿 その16

倉賀野駅入口交差点の倉賀野仲町山車倉前に中町御伝馬人馬継立場跡。 漢字ばかりで何だろう?と思ったら、中町問屋場(といやば)跡です。 倉賀野宿は、問屋場が下町・中町・上町に1軒ずつ、計3軒もあって、 それぞれ10日交代で問屋を務めていました。 …

倉賀野宿 その15

ベイシアマート屋の駐車場に、ポツンと本陣跡。 勅使河原本陣の跡で、ベイシアの敷地=本陣の敷地なんだろうな~。 広~い。 さっき通り過ぎた中町交差点を左折して、 共栄橋のたもとに河岸跡碑があると言ったけど、 ホントはベイシアの角にある路地が河岸場…

倉賀野宿 その14

2軒目となるたかさき都市景観賞の大山邸。 今度の大山邸は、さすが“倉”賀野らしく?蔵のような造りです。 左側の壁がなまこ壁になっています。 中町交差点に倉賀野町道路元標。 この交差点を左折すると、共栄橋のたもとに倉賀野河岸跡碑があるんだけど、 距…

倉賀野宿 その13

右手に明治36年(1903)創業の丁子堂 房右衛門(倉賀野町2006)があります。 軒先に「塩大福」の暖簾を掲げています。 代表銘菓の河岸最中は倉賀野宿に河岸があったことで名付けられました。 高崎にキタ━━━(゚∀゚)━━━!!!ということで、 達磨の形をしている…

倉賀野宿 その12

倉賀野宿に入ると、まずはたかさき都市景観賞の大山邸があります。 母屋が昭和9年(1934)の築造というので新しいけど、宿場らしい風景。 続いて卯建が立派な矢島邸。 こちらも宿場の建物らしくてイイ感じ。 音楽教室の前に、小栗上野介忠順公と埋蔵金…

倉賀野宿 その11

しばらくすると、また蛇行跡。 K121に合流すると、三叉路の下町交差点です。 例幣使道との倉賀野追分で、中山道と例幣使道に挟まれ、 閻魔堂&市指定史跡例幣使街道の常夜灯及び道しるべが建っています。 文化11年(1814)製の常夜灯は道標を兼ねて…

倉賀野宿 その10

旧道に戻ると旧道の蛇行跡が残っていて、 「Old」表記の「旧中山道」標識が立っています。 車道と合流すると、定規で直線を引いたような真っ直ぐな道。 新柳瀬橋北交差点に、今度は「kyu」表記の「旧中山道」標識が立っています。 ここからK121となり、工…