ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

安中宿 その18

杉並木が終わると、少し離れて「天然記念物安中原市杉並木」の石標。
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石標の並びの一区住民センターから歩道がなくなり、道が狭くなります。
そういえば、安中総合学園高校交差点の手前、新島襄旧宅入口近くの安中消防署付近から歩道が広くなっていた。
はっ!Σ(゚д゚lll)
安中原市の杉並木って、昔は安中消防署から一区住民センターまであったんだね!
消防署の向かいにも石標があるので、写真に撮っておけばヨカッタ。(>_<)

安中原市の杉並木の杉の数は、天保15年(1844)に732本、昭和7年(1932)では321本。
昭和8年(1933)に国の天然記念物に指定されたものの、枯死のために杉が激減!
昭和42年(1967)安中分の並木が指定解除され、杉並木の石標だけ取り残されてしまった…。
原市分の杉も現在は十数本にまで減っています。
地図で計測すると、安中消防署~一区住民センターは約1.5kmだけど、現在の杉並木は500mにも満たない。
このまま杉は減ってしまうのか?
杉並木の行く末が心配。(>_<)

安中宿 その17

安中総合学園高校交差点を過ぎると緩やかな上り坂。
中山道では東海道みたいな松並木はなく、やっと並木があると思ったら、ドカ~ンと国指定天然記念物の安中原市の杉並木。
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さて、この付近に一里塚があったんだけど、ガイド本には載っていない。
う~む、『中山道分間延絵図』から推測すると、杉並木が始まって、歩道が広がる辺りに原市一里塚があったと思います。

安中宿 その16

旧道に戻ると安中総合学園高校交差点。
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ここから上り坂となり、その先に杉並木が見えます。
ところで、てっしーの浮世絵ポイント@安中宿は碓氷川。
しかし、絵の凹みは川じゃなくて窪地でしょ。
国土地理院の地形図を見て、松井田宿に近い郷原だろうと思っていたけど、実際は絵になるような窪地はありません。
その点、安中総合学園高校交差点は窪地。交差点の左手に『中山道分間延絵図』に描かれている矢頭溜井と思われる池もあるし、ここでしょ!
ということで、おらの浮世絵ポイント@安中宿は安中総合学園高校交差点に決定!

安中宿 その15

ところで、さっき買い物した丸田屋は和菓子屋になる前は材木商でした。
碓氷川の対岸まで丸田屋の土地だったというので、碓氷川が見えるところで見てみると、スゴい距離!
向こう岸の河岸丘まで遠い!
今いる場所も河岸丘の上だけど、ずいぶん上ってきたんだね~。
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安中宿 その14

今日は新島襄ゆかりの地をいくつか立ち寄ったけど、
いよいよ最後の新島襄旧宅に寄り道。
市指定史跡。
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元は100mほど離れた場所にあった建物を移築しています。
初めて見る家だけど、何か懐かしい造り。
しかし、新島襄は江戸神田の生まれで、
アメリカからの帰国後、安中には3週間くらいしか滞在していないので、
旧宅というより「実家」でしょ?

安中宿 その13

旧道に戻ると、宝暦6年(1756)創業の丸田屋。
生クリーム大福が売りというのだけど、生ものなのでNG
19代目のご主人のオススメで、かりんとうまんじゅうを購入。
道中のお八つとして買ったけど、食べる機会がなく、お土産となりました。
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(自宅で撮りました)

上野尻郵便局に「史蹟 安中大木戸趾」の石標。
安中宿の入口に「下ノ木戸跡」と板書されていたけど、
こちらは石碑で、何でこんなに違うの?
表記を統一するなら、上ノ木戸跡でしょ。

安中宿 その12

旧道から離れて、碓氷川寄りの路地に龍昌寺(りゅうしょうじ)。
参道の両側に108個の小っちゃい梵鐘:和合の鐘が並んでいます。
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当山は明治7年(1874)新島襄が帰国後初めてキリスト教の講演をした寺院で、
お釈迦さまもビックリ!(◎o◎)
しかし、当山で講演したことが、4年後に便覧舎で地元の信徒に洗礼を授け、
安中教会の設立へとつながります。

安中宿 その11

醤油醸造の蔵元有田屋。
天保3年(1832)創業の老舗で、店の向かいが市指定史跡便覧舎跡です。
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有田屋の現在のご主人は7代目だけど、3代目の湯浅治郎が、
明治5年(1872)日本で最初の私設図書館「便覧舎」を設立しました。
明治11年(1878)新島襄から地元の信徒が洗礼を受けたのはこの便覧舎です。
ちなみに、治郎も新島襄よりキリスト教の洗礼を受け、
安中小学校新島襄記念会堂などの建設に尽力しました。
後妻の初子は徳富蘇峰・蘆花兄弟の実姉です。

店内を覗いてみると、お!イートインがある!
思いがけずお八つの時間になって、しょうゆドーナツ158円をいただきます。
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15分休憩。
蔵やレンガ煙突もGOOD。

安中宿 その10

旧道に戻ると上り坂。
坂の上のサカウエ薬局屋がイイ感じ。
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看板は「サカウエ薬局」と「清水商会」の2つあります。
安中宿は武家屋敷はあっても、宿場らしい家並みが残っていないので、
この店屋はいつまでもってほしいね~。

安中宿 その09

大名小路から奥に進むと、安中市文化センターに突き当たります。
その左手に安中藩安政遠足之碑&日本マラソン発祥の地碑。
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安政2年(1855)安中藩が藩士の心身鍛練を目的として、
50歳以下の藩士98名を安中城内より碓氷峠熊野権現まで、
七里余の中山道を走らせたのが始まり。
正式名称は「安中御城内御諸士御遠足」。
遠足は「えんそく」ではなく、「とおあし」と読みます。