ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

熊谷宿 再訪3/3

元荒川の源流大雷(おおいかづち)神社です。

2基の鳥居&祠の社殿でひっそり。
神社の前にはもう池はなく、元荒川の源流はドブ川と化しています。
しかし元荒川って、
寛永6年(1629)伊奈忠治が荒川の瀬替えを行う前は「現荒川」で、
荒ぶる川だったはずなのに、こんなチョロチョロした小川?
ずいぶん大掛かりな土木工事だったと思うけど、
当時の堤防や瀬替えの遺構は見当たりません。

気になったので、荒川の瀬替え(荒川の西遷)について調べてみました。
荒川は県境の甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)が源流で、秩父山地の谷を刻み、
寄居町から荒川扇状地となります。
ここから荒川は乱流して、古代は籠原付近を通り利根川に流入、
中世は石原付近を通り熊谷宿の北を抜けて元荒川に流れていました。
近世になって瀬替えが行われ、伊奈忠治が石原・久下で荒川の流路を締め切り、
熊谷宿の南を流れる和田吉野川の流路に付け替えられました。
こうして旧和田吉野川が荒川となり、久下以南の旧荒川が元荒川となりました。

熊谷直実の時代の熊谷は旧荒川と和田吉野川に挟まれて、中州のような地形だったというのでビックリ!(◎o◎)
国土地理院の地形図を見ても、もはやそんな面影は見られません。
しかし、石原って地名が“石の原っぱ=河原”なので、
地図や風景からでは分からなくなっても、地名が記憶しているんですね。

今まで大雷神社付近が瀬替えの現場と思っていたら、同じ久下でも、もっと下流でした。
大雷神社の池から流れていたのは瀬替え以前の荒川の“支流”の1つで、
河道が付け替えられ、元荒川となってから“本流”に昇格したんですね。

しかし、思いがけず熊谷宿にハマってしまって、日記が長尺になってしまいました。
これまで1宿歩くのに半日だったのが、
距離の関係で熊谷宿が1日がかりだったこともあるし。
初めて訪れた熊谷宿だけど、その分かなり詳しくなりました。
しかし、さすがにこれ以上のことは地元の方にお任せします。(^_^;