ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

08熊谷宿

熊谷宿 再訪3/3

元荒川の源流大雷(おおいかづち)神社です。 2基の鳥居&祠の社殿でひっそり。 神社の前にはもう池はなく、元荒川の源流はドブ川と化しています。 しかし元荒川って、 寛永6年(1629)伊奈忠治が荒川の瀬替えを行う前は「現荒川」で、 荒ぶる川だった…

熊谷宿 再訪2/3

せっかく熊谷宿を再訪したので、 本番の時に寄れなかった大雷(おおいかづち)神社にも訪れることに。 『中山道分間延絵図』では神社の前に池があり、 元荒川水元となっているので興味津々。 あれ?大雷神社に向かう途中、 熊久橋の1つ上流の橋に「値うちあ…

熊谷宿 再訪1/3

あれから久下(くげ)権八公園の道標が気になって、 「倒れた道標をそのままにしてあるのは、現状保存が原則で、 地域の文化財の保存はその地域の住民に任せる、というようなルールがあるの?」 という旨を熊谷市教育委員会に問い合わせると、 「当方もその…

熊谷宿 おしまい

中山道深谷宿お休み処FUKADECKにベンチがある! もうヘロヘロなので休みたいところだけど、もうすぐ終点なのでスルー…ってゆーか、 寄る予定だった三光院・深谷城跡・富士浅間神社をパスして、 18:10仲町交差点で本日の旅は終わり。 ふぅ。 約5km(寄…

熊谷宿 その39

右手に市指定文化財旧深谷宿常夜燈があります。 この常夜燈は明治期のものです。 まだ熊谷宿の巻なのに、とうとう深谷宿になっちゃった。(^_^;名前のない交差点を右折すると東源寺。 山門の脇に市指定史跡菊図坊祖英(きくとぼうそえい)塚があります。 旧…

熊谷宿 その38

イチョウに混じって若い松が並んでいます。 深谷市中山道ふるさとの並木道で、この付近は明治の迅速測図でも並木になっています。 あ!原郷交差点でR17を横断するんだけど、また歩道橋がある!と思ったら、 今度はちゃんと横断歩道もあります。 イイ事だ。…

熊谷宿 その37

熊野大神社から旧道に戻ると歩道ができてイチョウ並木。 左手に鳥居があるけど社殿や祠のない石仏群があります。 これは何? この付近に国済寺があるんだけど、旧道に面していないのでよく分からない。 庭掃除しているおじさんに道を尋ねて、近道だという路…

熊谷宿 その36

東方町2丁目交差点を過ぎると郷社熊野大神社の一の鳥居があります。 元は式内社の白髪(しらかみ)神社だそうです。 午前中に寄った久下(くげ)神社が元飯玉権現だったり、 鴻巣宿の鴻(こう)神社が元竹ノ森雷電社→鴻三社だったり、 社号どころか神さまま…

熊谷宿 その35

南側(左側)も深谷市となり、 鳥居がドミノのように建っている鬼林稲荷神社を横目に用水路。 この辺りが石橋の立場で、名物がドジョウ汁だったそうです。 今でも用水路にはどじょっこだ〜の、ふなっこだ〜の、いるべなか? 石柱が建っているけど、何のため…

熊谷宿 その34

県道に歩道ができたのでホッとしていたら、新堀北交差点から歩道なくなり、 また路側帯歩き…ガクッ。 県道264号は車の交通量が多いので緊張します。 この付近だけ南側(左側)が熊谷市(新堀)、 北側(右側)が深谷市(東方(ひがしがた))となっていて…

熊谷宿 その33

16:00本日の終点である名前のない交差点。 左折すると籠原駅だけど、まだ日が長いので、 5km先の深谷駅を目指すことにします。 ということで、熊谷宿はもう少し続きます。左手に明治天皇御小休所跡。 案内板の代わりに石碑の右面に由来が刻まれている…

熊谷宿 その32

中山道を挟んで南側(左側)が久保島の集落で、北側(右側)が玉井の集落。 ややこしい…。 旧道らしい雰囲気で不動堂や稲荷神社などが点在しています。 集会所の名前が下茶屋なので、立場じゃなくても茶屋はあったんだね〜。玉井南交差点を渡ると、 黄金色の…

熊谷宿 その31

再びR17に合流…ってゆーか、横断しなくちゃいけないんだけど、 さっきの筑波交差点みたいに歩道橋があるだけで横断歩道がない! 何度も言うけど、人間より車の方が馬力があるんだから、 歩道橋より「車道橋」を造ってほしい…ってゆーか、横断歩道を造って…

熊谷宿 その30

片側2車線だったR17は、石原一丁目交差点から片側1車線となります。 石原北交差点を過ぎると二叉を左に旧道。 さすが地元だけに、こんな所にも梅林堂がある。(^_^; 右手に市指定史跡新島一里塚。 ケヤキが立派で、太い幹にサルノコシカケが生えていま…

熊谷宿 その29

八木橋百貨店屋を出てカラーリングされた旧道を進みます。 八坂神社を過ぎると石原南交差点でR17に合流します。 石原一丁目交差点のかめの道に道標が3基並んでいます。 左側が明和3年(1766)製の秩父道志るべで、 「ちゝぶ道 志まぶへ十一り」と刻…

熊谷宿 その28

八木橋百貨店屋の入口左手に宮沢賢治歌碑&旧中山道跡碑があります。 大正5年(1916)宮沢賢治が秩父地方の土性地質調査の途中、 熊谷に宿泊して詠んだ歌とあります。 「熊谷の蓮生坊がたてし碑の旅はるばると泪あふれぬ」と刻まれているけど、 おらと…

熊谷宿 その27

熊谷寺(ゆうこくじ)から八木橋百貨店屋に戻ります。 明治30年(1897)創業の老舗で、何故か?店舗は中山道の上に建っています。 元々店舗は北側(右側)にあったのですが、 平成元年(1989)熊谷市の再開発事業で南側(左側)を増床して、 旧道…

熊谷宿 その26

星溪園から旧道に戻ると、目の前にデ〜ンと八木橋百貨店屋があります。 鎌倉町交差点を渡ると、宿場の中心&追分だけに、 横断歩道の先に熊谷市道路元標が建っています。八木橋の前を素通りすると、正面に熊谷寺(ゆうこくじ)。 ちょうど大山道…ってゆーか…

熊谷宿 その25

55分の昼食で、13:30午後の部をスタートさせると市指定史跡本陣跡。 竹井本陣跡で、本陣の前だからなのか?手前のバス停の屋根が瓦で立派です。 本陣の横の鎌倉町交差点は追分で、八王子通り大山道の起点です。 しかし、地元では「大山道」と呼ばれて…

熊谷宿 その24

旧道に戻ると市指定史跡札の辻跡があります。 札の辻跡の前にある清気庵(本町1-181)茶屋で昼食で〜す。 明治38年(1905)創業の老舗で、 さすが熊谷市は小麦の生産量が埼玉県内で1位だけに? 蕎麦屋だけどメニューにうどんの種類が多い。 喜多さん…

熊谷宿 その23

高城神社の末社に熊谷の地名の元になった熊野神社が鎮座しています。 由緒によると、この付近一帯に猛熊が往来し庶民の生活を脅かしていたので、 熊谷直実の父:直貞が退治したそうです。 そこに熊野権現堂を築いたのがはじまりですが、 明治40年(190…

熊谷宿 その22

右手に式内社高城神社があります。 ご神木のケヤキが立派。 天保12年(1841)製の常夜灯が市指定有形民俗文化財です。 青銅製で、台座に150名もの紺屋が奉納者として刻まれています。 あ!そういえば、さっきまであった郷土かるたを見かけなくなっ…

熊谷宿 その21

旧道に戻ると銀座1丁目交差点でR17に合流します。 今まで土手を歩いてきたけど、今度はビルが建ち並んで、 ずいぶん都会になった。 あれ?何だこりゃ? 筑波交差点は歩道橋があるだけで横断歩道がない! 足腰の弱いお年寄りや車椅子の人は交差点をどうや…

熊谷宿 その20

秩父鉄道の持田No.25踏切&高崎線の第六中仙道踏切を渡ったら、 名前のない交差点でちょっと寄り道。 熊谷駅北口の熊谷直実像の写真を撮ります。 地図で計測したら、 この先で通るR17の筑波交差点よりも、 名前のない交差点からの方が10mだけ短い…。(…

熊谷宿 その19

大雷(おおいかづち)神社に寄ろうと思っていたら、 ガイド・マップ『中山道散策マップ』に載っている場所が違っていて、 気がついたら八丁一里塚跡まで来ちゃった。 ガーン!(◎o◎) 責任者出せー!(人のせいにする)。 熊谷駅が見えたら旧道は右カーブして…

熊谷宿 その18

熊久橋の「熊久(ゆうきゅう)」は文字通り熊谷と久下の境界です。 ってことは、熊谷直実と久下直光が所領争いとなった現場? えー!ここが建久3年(1192)源頼朝の御前で訴訟対決中、 裁決の前に直実が出家してしまう原因となった場所くゎ!(◎o◎) 今は…

熊谷宿 その17

元荒川ムサシトミヨ生息地で旧道は右折。 何で?真っ直ぐじゃないの?と思ったら、 「過ぎし世の熊久橋や左富士」熊久(ゆうきゅう)橋が元荒川に対して直角に 架かっているからですね。 う〜む、中山道は日本橋からずっと左富士だぞ!と思ったら、 京から日…

熊谷宿 その16

真っ直ぐな旧道を進むと、ものスゴく水が澄んだ小川! 思わず「春の小川」を口ずさみたくなるような清流。 何と!「『県の魚』ムサシトミヨの棲む郷土」ここが元荒川ムサシトミヨ生息地。 「武蔵富魚」という名の通り、以前は旧武蔵国の埼玉・東京に分布して…

熊谷宿 その15

みかりや跡を過ぎると「丸に一の字ゆかりの家紋は東竹院」があります。 「久下の礎 直光・重光公親子」「魚籠を持つ魚籃観音おわします」 「沼の主が貸した千畳づりの蚊帳」「平然と雨にも風にも達磨石」 「六道の衆生を救う六地蔵」と、郷土かるたが6本も…

熊谷宿 その14

「水辺を守る九頭竜さま」を横目に土手に上がると、 「盛衰は世の習わし渡し舟」「渡る荒川 冠水橋」久下(くげ)の渡し&冠水橋跡。 久下には渡しだけではなく久下河岸もあり、 さっきの新川河岸と共に秩父と江戸を結んでいました。 渡しは昭和30年(19…

熊谷宿 その13

久下(くげ)権八公園には熊谷堤碑の他に、もう1つ大事なものぐゎ! ブ…ブランコの横に道標がうつ伏せの状態で倒りぇていりゅ!(◎o◎) これは寛政8年(1796)製の塞神(さえのかみ)道標で、 左面に「左松山道」、右面に「右熊谷道」と刻まれています。…

熊谷宿 その12

権八地蔵堂向かいの久下(くげ)権八公園に 「篆額(てんがく)は伊藤博文 熊谷堤の碑」熊谷堤碑。 熊谷堤の久下~石原間約3㎞が5年がかりで明治12年(1879)に完成した記念碑。 しかし、その後暴風で倒壊してしまい、 現在の碑は明治33年(190…

熊谷宿 その11

荒川の土手をまた上る前に、 右手の小径を進むと2つ目の「疣(いぼ)とり物言い権八地蔵」。 元禄11年(1698)製で市指定有形民俗文化財です。 そして、「伝え聞く歴史に残る久下(くげ)の鍛冶」。 地蔵堂の前の小径が中山道ですが、残念ながら途中…

熊谷宿 その10

県道257号の久下橋をくぐると、 空き地に門柱だけがポツンと「流灯会(りゅうとうえ) 今は昔の不動さま」。 “不動”なのに、どこかに移動してしまっている!(◎o◎) 民家に旧中山道碑。 屋号が「大鍛冶屋」だそうで、碑は自費で造ったのかな? ここから車…

熊谷宿 その09

久下(くげ)神社に「うなぎの伝説三島様」。 社殿の奥には 「山王猿は女性の神さま」「早舟の絵馬にも残る金比羅信仰」が鎮座しています。 境内にある碑には久下直光が勧請した三嶋神社だった旨が刻まれていますが、 『中山道分間延絵図』には飯玉権現にな…

熊谷宿 その08

荒川の土手が通行止めになって、「輪型の坂を下る大八」。 坂を下ると、「後の世までも修堤記録 輪型の碑」久下(くげ)堤碑があります。 久下の集落に入ると、 久下公民館にさっき(?_?)だった久下新川(しんかわ)村の案内板が建っていて、 100年前…

熊谷宿 その07

荒川の土手には枯れ草ロールが並んで、作業員がトラックに積んでいます。 のどかな風景だね〜。 郷土かるたも並んでいて、 「長土手に馬子唄のどか春の風」「『下に下に』は大名行列中山道」。 そして、「灯籠も昔がたりの白蛇さま」「昔栄えた新川の河岸」 …

熊谷宿 その06

荒川は鴻巣宿で川幅日本一!だけあって、熊谷でも川の流れは見えません。 対岸の河岸丘も遙か遠い。 それに、河川敷が畑ばかりなので、河原の感じがしな〜い。 2棟目のマンションを過ぎると眼下に馬頭観音がポツン。 振り返るとマンションの角に鳥居が! 土…

熊谷宿 その05

車道と合流するものの、土手の上って気持ちイイ〜。 ここが荒川の熊谷堤で、知らないうちに熊谷市になっています。 愛輪ヨハンソン(仮)でも走ってみたいと思ったら、途中から砂利道となり歩きづらい。 ふぃ〜。右手に決壊の跡。 昭和22年(1947)カ…

熊谷宿 その04

蛇行具合を楽しみながら進みます。 浦和宿から長らく県道の歩道歩きが続いていたので、 ようやく「旧道を歩いている」という実感が湧いてきました。 権八延命地蔵堂を過ぎると荒川の土手歩きとなります。 手書きの標識が左に回って土手に上るようになってい…

熊谷宿 その03

吹上神社を横目に進むと高崎線にぶつかります。 跨線橋のスロープの下に吹上宿の案内板&中山道間の宿碑が建っています。 しかし、京に向かう旅人にとっては宿のはずれで、吹上宿はもう過ぎてしまった。 跨線橋に上って北側を見ると、本来の中山道の道筋が分…

熊谷宿 その02

吹上本町交差点を左折します。 すぐ合流する路地が忍(おし)道&高札場跡で、 八王子千人同心が日光警備のために利用した日光脇往還(千人同心街道)でもあります。 右手の地蔵堂、東曜寺を見学すると、中山道は右にカーブ。 左手の路地がまた日光脇往還(…

熊谷宿 その01

8:55吹上駅前交差点を出発。 間の宿(あいのしゅく)吹上宿の中心部だけど街はひっそり。駐車場の奥に明治天皇駐輦(ちゅうれん)碑があります。 明治11年(1878)北陸東海巡幸の際に小休止した茶屋本陣林本陣跡で、 駐車場のブロック塀は車がぶつ…