初期中山道プレ調査
中山道は東海道設定の翌年慶長7年(1602)に定められました。
当時は現在知られているルートとは違い、
塩尻峠を通らず、下諏訪宿から南にある小野峠・牛首峠を経て、
贄川宿に通じていました。
その後慶長19年(1614)に現在のルートに付け替えられ、
塩尻宿・洗馬宿・本山宿が設置されました。
そんなわけで、今年は中山道の付け替え400周年!
せっかくなので記念の今年に歩いてみようと思っています。
(中山道の旅人にはお馴染み「是より南木曽路」碑)
そこで気になるのは、初期中山道の追分(分岐点)。
下諏訪側は『中山道を歩く(下諏訪宿から木曽路へ)』(塩尻市観光協会)に
東堀からのルートが記されているけど、贄川側は往時の桜沢の追分ではなく、
現在の国道19号に県道254号が合流する地点を追分にしています。
しかし、往時の追分は「是より南木曽路」碑が建つ国道19号の崖の上に残っている
旧道(高巻き道)にありました。
高巻き道には道標を兼ねた馬頭観音があり、台座に「いな道」と刻まれています。
せっかく初期中山道を歩くなら、この高巻き道の桜沢追分を終点にしたいな~。
ということで、馬頭観音の前で旧道と合流する小径があるので、
この道が初期中山道に通じていればイイなと、昨日調べてきました。
その小径は山から下って合流してくるので、
ホントに伊那道なのか?山頂への山道なのか?心配でしたが、
歩いてみるとすぐ下りとなり、中央本線を横目に桜沢に出ます。
沢の向こう岸には道があるように思えません。
上流に進んでも崖に阻まれて進めないので、元に戻って桜沢を飛び越え対岸に進みます。
崖崩れの跡があり、木が何本もなぎ倒されています。
その上にはガードレールが見えるので、県道254号が走っているのですが、
県道に出るにはこの急斜面をよじ登らなくてはなりません。(>_<)
なぎ倒された木々を跨いでいると県道と沢の間に石垣が見えるので行ってみると、
コンクリートの樋です。
見当たらない旧道の代わりにコンクリの樋を歩いていると、
上流に水道の取水口があります。
取水口に階段があるので県道に出られました。
階段には県道側の扉に鍵が取り付けられています。
塩尻市水道局の看板が割れていてよく分からないけど、
きっと関係者以外は立入禁止なんでしょうね。
しかし、初期中山道の調査研究のためご協力ください。m(_ _)m
思いがけない展開になりましたが、公式の初期中山道に出られたのでホッとしました。
しかし、桜沢を渡ってから道の痕跡は見当たらないので、
旧道はもう消滅しているんでしょうね。
長い年月の間に何度も崖崩れがあっただろうし、県道や水道の工事もしているし。
おらの初期中山道は下諏訪からのスタートなので、今回探索した道を戻る形になります。
危険なので、良い子はマネしないでね。(^-^;