ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

熊谷宿 その18

熊久橋の「熊久(ゆうきゅう)」は文字通り熊谷と久下の境界です。

ってことは、熊谷直実と久下直光が所領争いとなった現場?
えー!ここが建久3年(1192)源頼朝の御前で訴訟対決中、
裁決の前に直実が出家してしまう原因となった場所くゎ!(◎o◎)
今は熊久橋の下を流れる元荒川って小川のようだけど、やはりそこは「荒川」、
氾濫するたびに流れが変わって境界線が分からなくなり、
昔からいざこざが絶えなかったんでしょうね。
おらは決めたっ。
ここを史跡にしようよ。\(^-^)/

ところで、教科書『中山道を歩く』と
ガイド・マップ『中山道散策マップ』のルートが間違っていて、
元荒川ムサシトミヨ生息地の水路から右折せず、
熊久橋を渡らないで真っ直ぐ熊谷宿へ向かっています。
まさか?と思って『今昔中山道独案内』を図書館で立ち読みしたら、
こちらも右折せず、熊久橋を渡らないで真っ直ぐ進んでいます。
何故だー?

かたや、『中山道分間延絵図』と迅速測図は右カーブして、
これまた図書館で立ち読みした『歴史の道調査報告書 中山道』(埼玉県版)は
右折してから、熊久橋を渡っているんだけど…。
どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
やはり熊久橋は史跡にして、みんなで渡ろう熊久橋!\(^-^)/