ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

11新町宿

新町宿 おしまい

中山道の標柱を横目に関越自動車道をくぐると高崎伊勢崎自転車道があります。 そのまま自転車道を横断すると、12:40お伊勢の森(神明社)。 弁財天で休憩した時に新町宿を終えればヨカッタのに、 万歩計とGPSをリセットし忘れたので、ここが新町宿の終…

新町宿 その25

広い敷地に白い塀や蔵が美しい川端家住宅があります。 かつては「一町屋敷」と呼ばれた豪農で、 主屋をはじめ、塀・蔵・門など、19棟も国登録有形文化財となっています。 江戸時代後期~昭和初期の建物群。 石仏がいっぱいの信迎庵を横目に、今度は廃屋。 …

新町宿 その24

浮世絵ポイント@新町宿である弁天橋を渡ると藤岡市となり、右に旧道。 新町宿のある旧多野郡新町は、 平成18年(2006)に高崎市に編入され、飛び地になっています。 旧道の左側に「旧中山道」の標識があるけど、 間違えてK178を進んでしまった旅人…

新町宿 その23

日本スリーデーマーチ発祥の地碑の向かいに弁財天があります。 往時は温井川にある中の島…ってゆーか、弁天島に鎮座していて、 『中山道分間延絵図』にも描かれているけど、 昭和48年(1973)治水の都合で現在の地に移されました。 境内に安政2年(1…

新町宿 その22

本陣跡で新町宿は終わり、温井川の手前に日本スリーデーマーチ発祥の地碑があります。 東松山市で開催される本大会は新聞でよく見かけるけど、 第1回目の大会は昭和53年(1978)新町で開催されました。 おらは街道歩きが趣味だけど、歩くのは苦手なの…

新町宿 その21

ブロック塀沿いにひっそりと小林本陣跡。 高瀬屋と小林本陣の間に久保本陣があるんだけど標柱も案内板もありません。 しかし、本陣って宿場の中ほどにあるものだけど、 新町宿はホントに宿場のはずれにありますね。

新町宿 その20

喜多さんが飲物を買いたいというので、新町駅に向かい、セブン茶屋でお買い物。 商店街のレトロな雰囲気がイイ感じ。旧道に戻ると旅籠高瀬屋跡があります。 文化7年(1810)小林一茶が高瀬屋に泊まった際に、 夜更けに起こされて見通灯篭の寄付を強要さ…

新町宿 その19

行在所(あんざいしょ)公園から、 さらに旧道から離れて於菊稲荷神社(おきくいなりじんじゃ)。 鳥居の写真を撮ろうとしたら、その先には簡易トイレ…。 トイレが本殿?と思ったら、参道がL字に折れています。 ビックリした~。(^-^; 文政6年(1823…

新町宿 その18

十字路の角に行在所(あんざいしょ)公園があります。 公園の奥に新町道路元標&市指定史跡明治天皇新町行在所があります。 明治天皇が明治11年(1878)北陸東海巡幸の際に宿泊しました。 元宿場で旧本陣があるのに、 旧本陣が宿駅の西寄りであること…

新町宿 その17

新町宿内の旧道は真っ直ぐ。 雰囲気が蕨宿に似ています。 諏訪神社に寄ると、 獅子舞・石鳥居・小林穣洲先生寿蔵之碑・御輿など、市指定文化財がいっぱい。 石鳥居は元禄15年(1702)製で、 老朽化のため境内の裏に埋めて保存されているのでビックリ!…

新町宿 その16

名前のない交差点を渡ると八坂神社。 かたわらに柳茶屋の芭蕉句碑が建っています。 昔この辺りに大きな柳があり、そのそばにある茶屋を「柳茶屋」と呼んでいたそうで、 久々の芭蕉句碑です。 しかし気になるのは、後ろの滑り台をよじ登っているトカゲ!…のオ…

新町宿 その15

R17の歩道を進むと右に旧道があります。 R17に「中山道→」と標識があるので親切。 それにしても、陸上自衛隊新町駐屯地があるからなのか? 新町検問所と書いてある塔が気になる。 R17と旧道の間に中山道新町宿碑&再建された見通灯篭が建っています。 …

新町宿 その14

神流川橋を渡り終えると群馬県高崎市。 東京から94km。 歩道が自転車通行可になりました。 橋の歩道が自転車通行可でないなら車道に出なくちゃいけないけど、 歩道と車道はガードレールに仕切られています。 自転車のためにガードレールを切って、スムーズ…

新町宿 その13

大光寺(だいこうじ)を出ると、いよいよ神流川(かんながわ)。 埼玉県と群馬県の県境にして武蔵国と上野国(こうずけのくに)との国境です。 土手の上に案内板があるので見に行くと、 天正10年(1582)滝川一益と北条氏邦&氏直が戦った神流川古戦場…

新町宿 その12

まだ大光寺(だいこうじ)。 当山も金窪館・陽雲寺と同じように神流川の戦いで焼失したけど、 何と!本堂の裏に鎌倉時代の勅使門(総門)が残っています。 町指定文化財。 「勅使山」と書かれた扁額は栄西の直筆だって。 隣の地蔵堂には 永正6年(1509…

新町宿 その11

勅使河原北交差点でR17に合流します。 NHK「街道てくてく旅」で中山道を踏破したてっしー(勅使川原郁恵)が、 一字違いだけど、名前が同じだと感激していた交差点だね。すぐに丁字路交差点を左折して寄り道。 JR高崎線の勅使河原架道橋をくぐって大光寺(…

新町宿 その10

高窓のある民家の前を進むと祠&石碑が建っています。 ここが勝場一里塚跡だって。 一里塚の跡があるのはウレシいけど、 さっきの中山道案内板には、新町宿への直路ができるまでは、 群馬県玉村町経由で倉賀野宿へ向かっていたと書いてありました。 新町宿が…

新町宿 その09

陽雲寺を後にすると賀美公民館に中山道の案内板があります。 新町宿への直路ができるまでは、 陽雲寺の東で北に向きを変え、角渕(つのぶち 現群馬県玉村町)を経て、 倉賀野宿へ向かっていたそうです。 そうそう、道標もあるしね~。 賀美小学校の前にだけ…

新町宿 その08

陽雲寺その3。 境内には元禄8年(1695)製の県指定文化財銅鐘があります。 さらに、墓地の奥に町指定史跡陽雲院の墓(武田信玄夫人の墓)。 案内板によると、陽雲寺は元久2年(1205)創建で、当初は満願寺と称しました。 室町時代に金窪城主:斎…

新町宿 その07

陽雲寺その2。 石の祠が畑時能(はた ときよし)供養祠で県指定旧跡です。 時能は新田義貞の死後も南朝方のため孤軍奮闘したものの、 越前国で足利方に討たれました。 従臣の児玉光信が時能の首級を持ち帰って供養したものです。 後に光信も時能の墓側に葬…

新町宿 その06

旧道に戻ると陽雲寺があります。 お宝がいっぱい。 まずは参道の地蔵道標。 元禄3年(1690)製のお地蔵さまに 「これよりいかほかいとう(伊香保街道)」と刻まれています。 陽雲寺手前の右に延びる路地が三国街道なので、 元はその追分に建っていたん…

新町宿 その05

金窪館址入口から田んぼの中を進むと、 萠美保育園の角に「館址入口」の石標があります。 左折すると道がクランクになっています。 地元の方に呼び止められたので、金窪城跡に行く旨を話すと、行き過ぎたそうで、 場所を教えてくれました。 ありがとうござい…

新町宿 その04

八幡神社を横目に進むと「史蹟 金窪館址入口」と刻まれた石標があります。 ありゃ、スルーした八幡神社って金窪神社だったのね。 立ち寄ろうと思っていたのに通り過ぎちゃった。 金窪神社獅子舞が町指定無形文化財です。 雨乞いの獅子舞だそうだけど、やはり…

新町宿 その03

神保原北交差点でR17を横断。 歩道がないので行き交う車に注意ながら歩きます。 左手に石仏群。 近隣から寄せ集められたのだと思うけど、宝篋印塔まであって、ずいぶん豪華。 はす向かいにまた自然石の庚申塔。 道端にはコスモスが揺れていて、歩行日和だ…

新町宿 その02

8:55神保原駅入口の丁字路を出発。 歩き始めるとすぐに自然石の庚申塔がおっは~。 「庚申塔」と刻まれている文字塔で、 フツーはこの3文字だけのシンプルな庚申塔が多いけど、 この庚申塔は上部にやはり文字で、「日光」「月光」と刻まれている。 珍し…

新町宿 その01

中山道歩きの7日目。 出発する前に、前回泪橋跡の石碑に刻まれていた石神村。 泪橋が石神村にあったそうだけど、石神村って何処だろう?と思ったら、 前回の終点&今回の始点である、神保原駅入口の丁字路付近が村の中心部でした。 しかし、明治22年(1…