ブログ 1日中、山道。

旧中山道を歩いています。

08熊谷宿

熊谷宿 その13

久下(くげ)権八公園には熊谷堤碑の他に、もう1つ大事なものぐゎ! ブ…ブランコの横に道標がうつ伏せの状態で倒りぇていりゅ!(◎o◎) これは寛政8年(1796)製の塞神(さえのかみ)道標で、 左面に「左松山道」、右面に「右熊谷道」と刻まれています。…

熊谷宿 その12

権八地蔵堂向かいの久下(くげ)権八公園に 「篆額(てんがく)は伊藤博文 熊谷堤の碑」熊谷堤碑。 熊谷堤の久下~石原間約3㎞が5年がかりで明治12年(1879)に完成した記念碑。 しかし、その後暴風で倒壊してしまい、 現在の碑は明治33年(190…

熊谷宿 その11

荒川の土手をまた上る前に、 右手の小径を進むと2つ目の「疣(いぼ)とり物言い権八地蔵」。 元禄11年(1698)製で市指定有形民俗文化財です。 そして、「伝え聞く歴史に残る久下(くげ)の鍛冶」。 地蔵堂の前の小径が中山道ですが、残念ながら途中…

熊谷宿 その10

県道257号の久下橋をくぐると、 空き地に門柱だけがポツンと「流灯会(りゅうとうえ) 今は昔の不動さま」。 “不動”なのに、どこかに移動してしまっている!(◎o◎) 民家に旧中山道碑。 屋号が「大鍛冶屋」だそうで、碑は自費で造ったのかな? ここから車…

熊谷宿 その09

久下(くげ)神社に「うなぎの伝説三島様」。 社殿の奥には 「山王猿は女性の神さま」「早舟の絵馬にも残る金比羅信仰」が鎮座しています。 境内にある碑には久下直光が勧請した三嶋神社だった旨が刻まれていますが、 『中山道分間延絵図』には飯玉権現にな…

熊谷宿 その08

荒川の土手が通行止めになって、「輪型の坂を下る大八」。 坂を下ると、「後の世までも修堤記録 輪型の碑」久下(くげ)堤碑があります。 久下の集落に入ると、 久下公民館にさっき(?_?)だった久下新川(しんかわ)村の案内板が建っていて、 100年前…

熊谷宿 その07

荒川の土手には枯れ草ロールが並んで、作業員がトラックに積んでいます。 のどかな風景だね〜。 郷土かるたも並んでいて、 「長土手に馬子唄のどか春の風」「『下に下に』は大名行列中山道」。 そして、「灯籠も昔がたりの白蛇さま」「昔栄えた新川の河岸」 …

熊谷宿 その06

荒川は鴻巣宿で川幅日本一!だけあって、熊谷でも川の流れは見えません。 対岸の河岸丘も遙か遠い。 それに、河川敷が畑ばかりなので、河原の感じがしな〜い。 2棟目のマンションを過ぎると眼下に馬頭観音がポツン。 振り返るとマンションの角に鳥居が! 土…

熊谷宿 その05

車道と合流するものの、土手の上って気持ちイイ〜。 ここが荒川の熊谷堤で、知らないうちに熊谷市になっています。 愛輪ヨハンソン(仮)でも走ってみたいと思ったら、途中から砂利道となり歩きづらい。 ふぃ〜。右手に決壊の跡。 昭和22年(1947)カ…

熊谷宿 その04

蛇行具合を楽しみながら進みます。 浦和宿から長らく県道の歩道歩きが続いていたので、 ようやく「旧道を歩いている」という実感が湧いてきました。 権八延命地蔵堂を過ぎると荒川の土手歩きとなります。 手書きの標識が左に回って土手に上るようになってい…

熊谷宿 その03

吹上神社を横目に進むと高崎線にぶつかります。 跨線橋のスロープの下に吹上宿の案内板&中山道間の宿碑が建っています。 しかし、京に向かう旅人にとっては宿のはずれで、吹上宿はもう過ぎてしまった。 跨線橋に上って北側を見ると、本来の中山道の道筋が分…

熊谷宿 その02

吹上本町交差点を左折します。 すぐ合流する路地が忍(おし)道&高札場跡で、 八王子千人同心が日光警備のために利用した日光脇往還(千人同心街道)でもあります。 右手の地蔵堂、東曜寺を見学すると、中山道は右にカーブ。 左手の路地がまた日光脇往還(…

熊谷宿 その01

8:55吹上駅前交差点を出発。 間の宿(あいのしゅく)吹上宿の中心部だけど街はひっそり。駐車場の奥に明治天皇駐輦(ちゅうれん)碑があります。 明治11年(1878)北陸東海巡幸の際に小休止した茶屋本陣林本陣跡で、 駐車場のブロック塀は車がぶつ…