01板橋宿
地図の通りに階段を下りると丁字路から中山道。 あれ?戸田渡船場跡碑がブロック塀の上に建っていて、碑が背を向けている! 階段もない! 何てこった! 丁字路までは中山道ではないので、こんなことなら案内板の通りに進まないで、 車道を歩いた方がイイ。 …
舟渡(ふなと)交差点から歩道がなくなるので、右側の脇道を進みます。 もうすぐ荒川なので、「舟渡」ってな地名がイイね〜。 戸田橋を渡る手前で階段を上ることになるけど、 車椅子の人が戸田橋を渡るにはどうしたらイイの? 戸田橋を渡ると埼玉県戸田市と…
都営地下鉄三田線をくぐるとR17に合流…ってゆーか、斜めに交差するけど、 志村3丁目交差点で旧道は一部途切れています。 おらは写真を撮るために歩道橋で渡るけど、喜多さんたちは横断歩道で渡ります。 交差する都道311号環状8号線は渋滞で、 信号待…
清水坂碑から下り坂。 車を通すために開削されていてもかなりの急坂なので、往時は難所だったでしょうね。 坂を下るとまた清水坂碑と案内板。 案内板によると、この付近は立場(志村の立場)でした。真っ直ぐ進んでふとGPSを見ると、 これから合流するはずの…
志村坂上交差点を左斜めに旧道。 丁字路の民家の玄関脇に道標が2基あります。 2基とも大山道道標なのでスゴいことだ。左側の道標は寛政4年(1792)製で、 正面に「大山道并(ならびに)ねりま川こへ(川越)みち」と刻まれ、 左面に「是ヨリ富士山大…
進行方向に石垣が。 歩道が途切れているのか?と思ったら、志村一里塚です。 都内に「跡」が付かない一里塚があるなんてビックリ!(◎o◎) しかも、ペアで残っているなんて奇跡だね〜。 そのおかげで?国指定史跡となっています。 手前の店屋といい、旧道の風…
都道318号環状7号線をくぐると商店街がだんだん寂しくなってきます。 知らない間に板橋宿が終わってしまった…。 う~む、どこが境目なんだろう? 京から日本橋に向かえば「これより板橋宿」ってな案内板があるのかな?首都高を横目にR17に合流。 板橋…
板橋を渡ると板橋本町商店街で、アスファルト舗装となります。 上り坂になると公園に何故か?櫓。 ベンチがあって憩いの場になっています。 並びの交番に中山道板橋宿碑が建ち、この付近が上宿。 左手の細い路地が、文久元年(1861)降嫁のため下向した…
2軒目の銭湯で水神湯を過ぎると、宿場名の由来となった板橋。 自動車の普及に対応するため、 残念ながら昭和7年(1932)にコンクリート橋になったそうで、 現在のコンクリ板橋は2代目です。 板橋が架かる石神井川も川岸や河床がコンクリで固められ、 …
旧中山道仲宿交差点で王子新道を渡ると中山道板橋宿碑。 ここから板橋宿の中心で中宿です。 仲宿商店街を進むと遍照寺。 境内が馬つなぎ場だったそうだけど、往時の面影はありません。緩やかな下り坂となり、ライフ屋の手前、飯田不動産屋に板橋宿本陣跡。 …
「板橋宿」を進む前に、手前の路地に入って東光寺に寄り道。 境内に入ると区指定有形文化財の庚申塔を含む石仏群。 宇喜多秀家の墓があるというので探したけど見当たらない。 喜多さんが墓地で宇喜多家の墓を見つけたけど、新しいのでアヤシい…。 寺の人に尋…
8:40板橋駅東口入口の名前のない交差点を出発。 「赤羽線 仲仙道踏切」で板橋区となります。 「中仙道」という表記はよく見かけるけど、「仲仙道」ってのは初めて。 踏切を渡ると板橋駅西口に「旧中山道」の標識。 ここからいたばし縁むすび通りで、「平…
出発の前に、前回寄り忘れた近藤勇と新選組隊士供養塔に立ち寄りました。 区指定有形文化財で、ひっそりと建っているのかと思ったら、結構デカい。 慶応4年(1868)近藤勇は板橋宿の手前にあった平尾一里塚付近の刑場で 官軍に斬首されました。 胴体が…